バトンを渡す社長と読む製造業のこれから①あんなもんで精度が出るか?品質で世界を取った時代

※この連載は、「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」と同じ出来事を、川口の金属加工会社の社長で、専務・宮田健太さんの父である正一さんの側から見直すものです。正一さんの言葉の背景にある時代の価値観を、昔と今のデータで読み解きます。登場人物と会社は、公的な統計や調査をもとに組み立てた架空のもので、実在の企業や個人とは関係ありません。引用した数字の出典は、記事の最後にまとめています。
※この連載でいう「ものづくり中小企業」は、中小企業基本法で中小企業とされる製造業の会社(資本金3億円以下または従業員300人以下)を指します。なかでも、従業員が数十人〜100人ほどの会社を主に想定しています。
帰りの車の中で

宮田正一さん(仮名・72歳)は、川口で従業員40人ほどの金属加工会社を営んでいます。18歳で先代の父の工場に入り、50年あまり、旋盤の前と取引先のあいだを行き来してきました。
先代から付き合いのある取引先を、息子で専務の健太さん(仮名・34歳)と訪ねた日のことです。打ち合わせの最後に、購買の担当者がさらりと言いました。「来期から、一部は海外での調達も検討していまして」
正一さんは表情を変えずに頭を下げました。ただ、その一言は、帰りの車に乗ってからも耳に残っていました。
「親父、このままじゃ仕事、本当に持っていかれるぞ」
「あんなもんで精度が出るか。うちの仕事を見てから言え」
言ったそばから、正一さんは窓の外に目をやりました。図面ごと「おたくでなければ」と頼まれる仕事は、ここ数年で少しずつ減っています。それは、誰よりも正一さん自身が分かっていました。
その夜、夕食の席でも話は蒸し返され、妻に「ごはんのときくらい、やめたら?」と止められました。布団に入る前、正一さんは妻にだけ、ぽつりと漏らします。
「あいつの言うことも分かってるんだ。でもな、それを認めたら、俺がやってきたことは何だったんだって話になる」
正一さんが34歳だったころ、つまり今の健太さんと同じ年ごろ、工場には仕事があふれていました。「いい物をつくれば、黙っていても注文は来る」。それが、正一さんが現場で覚えた商売のやり方でした。
正一さんは思います。「品質で選ばれてきた。それは本当だった。だが、今もそうなのか。」
あの頃は:品質で世界を取った時代

正一さんが「精度」にこだわる背景を、当時のデータで見てみます。
経済産業省の資料によると、1988年、世界の半導体市場に占める日本の割合は50.3%で、アメリカの36.8%を上回っていました。世界の半分を、日本がつくっていたことになります。半導体は、日本のものづくりが世界で選ばれていた時代の象徴の一つです。1988年は、正一さんが今の健太さんと同じ34歳だった年です。

工場の数も見てみます。経済産業省の工業統計の資料によると、製造業の事業所数は1983年の78万事業所がピークで、その後は減り続け、2005年には46万9千事業所になっています。1983年、正一さんは29歳でした。
世界で選ばれ、工場も仕事もあふれていた時代に、正一さんは現場で腕を磨いてきました。「いい物をつくれば、注文は来る」という感覚は思い込みではなく、その時代の現場では、実感にもとづく正解だったと考えられます。
今は:品質だけでは選ばれにくくなった

同じ資料で、今の数字も見てみます。世界の半導体市場に占める日本の割合は、2019年には10.0%まで下がっています。代わりに、アメリカが50.7%、アジアが25.2%を占めるようになりました。
「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」第1回で健太さんが調べたように、製造業が生み出した付加価値(ドル換算)は、1995年から2020年までに中国で18.5倍に伸びた一方、日本は0.8倍でした(経済産業省「通商白書2025」)。
日本の品質が落ちた、という話ではありません。世界でつくる量が大きくなり、他の国も力をつけた結果、同じ「品質」でも、置かれた土俵が変わったと考えられます。
健太さんが読んで分かること

健太さんから見れば、「あんなもんで精度が出るか」は、変わろうとしない頑固さに聞こえたかもしれません。けれど、正一さんが働き盛りを過ごした時代には、品質で選ばれることが、商売のいちばん確かな道でした。
その強い言葉は、息子を否定する言葉である以上に、自分の何十年を守る言葉でもあると考えられます。そう分かると、「品質なんてもう古い」と返すのではなく、「その品質が、今の取引先からどう見えているかを一緒に確かめよう」と言えるようになります。
専務シリーズ第1回の「選ばれる理由を確かめる」は、正一さんの「品質」を否定する作業ではなく、今の言葉で確かめ直す作業だと言えます。
で、どうしたらいいのか

品質で勝ってきた経験は、会社にとって大きな財産です。ただ、それが社長の頭の中だけにあるうちは、次の代には渡せません。大切なのは、「品質」を守るだけでなく、言葉にして息子に渡せる形にすることです。社長の立場から打てる手として、次の3つが考えられます。
① 品質を言葉に残す

正一さんの言う「精度」は、段取りの工夫、測り方、音や手ざわりでの判断など、いくつもの勘所に支えられているはずです。それを言葉と写真に残すことが考えられます。
- よくやる仕事から、段取りの工夫を書き出す
- どこで、どう測って確かめているかを写真に残す
- 音や手ざわりで判断していることを、若手に話しながら言葉にする
② あの頃を話す

どの仕事で、何が評価されて選ばれてきたのか。それを知っているのは、正一さんだけです。昔話としてではなく、今の強みの手がかりとして息子に伝えることが考えられます。
- 夕食の席ではなく、時間を決めて話す
- どの取引先の、どの仕事で、何が評価されたかを具体的に伝える
- 今も通じる部分と、変わった部分を分けて考える
③ 今の数字を一緒に見る

健太さんは、世界の中の日本の位置を調べています。その数字を一度、聞く側に回って見てみることが考えられます。
- 月に一度、30分だけ、息子が調べた数字を見せてもらう
- 売上・原価・受注を、1枚の紙で一緒に読む
- その場では、反論より先に「なぜそう思うのか」を聞く
まずは①から
3つを一度に始めなくてもよいと考えられます。自分の品質を言葉にする①は、息子と向き合う前に、一人でも始められる一歩です。
言葉になった品質は、社長が現場を離れたあとも、会社に残ります。次回は、「先代からの付き合いだ」と言った夜の正一さんの側から、取引先との長い付き合いが当たり前だった時代を見ていきます。
ハーマスの考え方とご提案

合同会社ハーマスでは、社長の経験と技能の継承を、本人の頑張りだけでなく、会社の仕組みで支えられる課題として捉えています。何をどう残すかは、会社の規模や仕事の中身によって変わります。そのため、決まった型を当てはめるのではなく、社長と後継ぎ、現場の双方が納得できるやり方を一緒に探していくことを大切にしています。
このテーマでは、たとえば次のようなご提案をしています。
- 社長の技能や判断の勘所を、聞き取りで言葉に残す
- 社長と後継ぎが同じ数字を見る場をつくり、その進行を担う
- あの頃と今の違いを、データで整理してお伝えする
絵にかいた餅にせず、時には現場に飛び込んで本質を追求し、できたらいいねではなく実際に変化を起こすこと。それを信条に、現場に入って伴走しています。
この連載では、「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」と同じ出来事を、社長の正一さんの側から全5回で見直していきます。
出典
- 経済産業省「半導体戦略(概略)」(2021年6月、p.7 日本の半導体産業のシェア。Omdiaのデータをもとに経済産業省作成)
- 経済産業省 工業統計 解説資料「事業所数、従業者数及び出荷額の推移」(全事業所、昭和58年のピークと平成17年の事業所数)
- 経済産業省「通商白書2025」概要(p.10「各国・地域の製造業付加価値の推移」、1995年から2020年までの伸び、名目ドルベース。原データ:OECD TiVA)
- 中小企業庁「中小企業・小規模企業者の定義」
※正一さんの年齢は、2026年に72歳という設定から逆算しています。世界の製造業に占める日本の割合は、「後継ぎ専務と読む製造業のこれから」第1回と同じ計算です。